01 / Italian Racing Emotion
イタリアの美学と、レースの精神
レースという極限の舞台で求められる性能と、イタリアに息づく造形への感性。bimotaは、その両方を妥協なく追求してきました。走るために必要な構造が、機械としての美しさを形づくる。機能と造形が緊密に結びついたその姿には、イタリアン モーターサイクルならではの個性が鮮やかに表れています。
Line Up
Heritage
理想の走りを追い求める。革新を重ねるフレームビルダー。

La rivoluzione continua
モーターサイクルの走行性能を決定づけるのは、エンジンの力だけではありません。その力を受け止め、ライダーの意思を路面へと伝える車体構造にこそ、bimotaが追い求めてきた理想があります。
1973年、イタリア リミニでモーターサイクルメーカーとしての歩みを始めて以来、bimotaは独自のシャシー エンジニアリングによって、その時代の常識に新たな可能性を示してきました。
トレリスフレームとアルミニウム削り出しプレートを組み合わせた車体構造。従来のフロントフォークとは異なる発想から生まれたTESIのハブセンター ステアリング。採用する技術や構造は異なっても、その根底にある思想は一貫しています。
既成の形式にとらわれることなく、理想とする走行性能のために最適な構造を追求する。その飽くなき探究心が、半世紀以上にわたるbimotaの革新を支えています。
Philosophy
01 / Italian Racing Emotion
レースという極限の舞台で求められる性能と、イタリアに息づく造形への感性。bimotaは、その両方を妥協なく追求してきました。走るために必要な構造が、機械としての美しさを形づくる。機能と造形が緊密に結びついたその姿には、イタリアン モーターサイクルならではの個性が鮮やかに表れています。
02 / Innovation
既存の技術を改良するだけでなく、車体構造そのものを見つめ直す。bimotaの革新は、常にその発想から生まれてきました。理論に基づく設計と実走による検証を重ね、独創的な機構を確かな走行性能へと結びつける。その積み重ねが、ほかにはないライディング体験を生み出しています。
03 / Masterpiece
精緻に削り出された金属の質感、丹念に仕上げられた外装、細部にまで行き届いた加工技術。bimotaのモーターサイクルには、機械を扱う職人の確かな技術が息づいています。走る歓びはもちろん、眺め、触れ、所有する時間においても、その精巧なつくりを堪能できる一台です。
70's
1972年9月、ミザノ・サーキットで1台のHONDA CB750が転倒しました。ライダーはマッシモ・タンブリーニ。肋骨を3本折る大けがを負いながらも、モーターサイクルへの情熱は消えるどころか、いっそう強くなりました。ここからbimotaの伝説が始まります。
bimotaは1966年、ヴァレリオ・ビアンキ(Bianchi)、ジュゼッペ・モッリ(Morri)、マッシモ・タンブリーニ(Tamburini)の3人によって、空調設備を製造する会社として設立されました。社名は、創業者3人の姓の頭文字に由来します。しかしタンブリーニは、もともと趣味だったモータースポーツに深く傾倒し、やがて本業に差し支えるほどになっていきました。
1972年の事故のあと、周囲からレースを退くよう強く求められたタンブリーニは、ライダーではなくコンストラクターとしての道を選びます。以前勤めていたピアジオの修理工場での経験と、空調設備にも欠かせないパイプ加工の技術を生かし、オリジナルのフレームをつくり始めたのです。
純正を上回る剛性と軽さ、低い重心を備え、美しく仕上げられたフレームに、高性能な日本製エンジンを組み合わせる。エンジンの力に車体が追いついていなかった当時の日本製量産車をまったく別の乗り物に変えるその技術とセンスは、レーサーにとって欠かせないものとなりました。HONDAのHとbimotaのBから「HB1」と名づけられた10台のマシンから、モーターサイクルメーカーとしてのbimotaの歴史が始まりました。
80's
70年代の世界GPでは、ヤマハやアエルマッキ・ハーレーをはじめ、bimota製のフレームを使ったマシンが数多く活躍し、世界タイトルも獲得していました。けれども、公式の記録としてbimotaが栄誉を受けることはありませんでした。1980年、ジョン・エケロルドが駆るYB3が世界GP 350ccクラスを制し、リミニの小さな会社に大きな勲章をもたらします。
1983年、経営を担うモッリとの意見の違いからタンブリーニが会社を去り、才能あふれる若いエンジニア、フェデリコ・マルティーニが迎えられました。美しい鋼管トレリスフレームにDUCATI製750ccエンジンを搭載したフルフェアリングのDB1、アルミツインスパーのYB4など、独創的なモデルを次々に開発。性能、品質、デザインのいずれも高く評価され、商業的にも大きな成功を収めました。
1987年、bimotaはもうひとつの栄冠を手にします。YB4Rを駆るヴィルジニオ・フェラーリが、スーパーバイク世界選手権の前身であるTT-F1世界選手権に挑み、初年度にして年間3勝を挙げてタイトルを獲得しました。世界中のメーカーが市販車をもとに競うTT-F1での勝利は、bimotaの技術力の高さを証明するものでした。
新たな栄光を築いたマルティーニは、1989年にbimotaを去ります。後を継いでテクニカル・ディレクターに就任したのは、マルティーニを支えてきたピエルルイジ・マルコーニ。世界を驚かせるニューモデルとともに、bimotaは新しい時代を迎えます。
90's
1990年のケルン・ショーで発表されたTESI 1Dは、圧倒的な存在感を放っていました。ハブセンターステアリングを用いた独創的な車体は新しい時代の到来を告げ、理想を追い求める真摯なものづくりは高く評価されて、マルコーニの名は世界に広まります。その後もマルコーニは、DUCATIエンジンとトレリスフレームのDBシリーズ、アルミツインスパーのYBシリーズ、そしてbimota最大のヒットとなったSB6などを精力的に開発しました。
1995年には、生産台数が1,250台へと倍増しました。1996年には、ミザノのサンタモニカ・サーキットでワールドミーティングが開かれ、世界中から「BIMOTISTI」が祝福に集まりました。bimotaは、着実に大きなメーカーへと成長していきます。
90年代も後半に入ると、bimotaが完全自社設計した500 Vdueが生まれます。デザインはセルジオ・ロビアーノ、設計はピエルルイジ・マルコーニ。公道を走るGPマシンとして設計され、筒内直噴のフューエルインジェクションを備えた2ストローク2気筒500ccエンジンという最先端の構成に、ファンは沸き立ちました。幸運なオーナーのもとへ届けられたものの、製品としては完成されておらず、全車がリコールとなり、bimotaは深刻な財政難に陥ります。
2000's
新しい世紀の幕開けは、明るいものでした。新たな経営陣のもと、アルミツインスパーとカーボンのスイングアームピボットという、世界でも類のない複合フレームを持つSB8Rをトップモデルに据え、熱心なファンをうならせるマシンづくりが続けられました。
そして11年ぶりに、bimotaは世界の舞台へ戻ります。最速の市販車を決めるスーパーバイク世界選手権です。運営はヴィルジニオ・フェラーリ、監督はフランコ・ファルネ、ライダーはアンソニー・ゴバート、マシンはSB8Rの進化型であるSB8K。2000年、南アフリカ・キャラミの開幕戦で11位を得ると、その3週間後のオーストラリア・フィリップアイランドで劇的な勝利を挙げ、世界中の「BIMOTISTI」に最高のイースターを贈りました。
しかし、レースでの活躍とは裏腹に、90年代末から積み重なった負債の傷は深く、bimotaは公式に破産を宣告されます。工場は閉鎖され、スタッフは去り、伝説の第一幕は閉じられました。
2003年、bimotaはついに復活を果たします。新しい経営陣と、ふたたび集まった優秀なスタッフは、モーターサイクルの歴史にbimotaの名を改めて刻むことを目標に掲げました。その努力は早くも実を結び、セルジオ・ロビアーノのデザインによるDB5 MILLEが、インターモトでモーターサイクル・デザイン・アワードを受賞。リミニの歴史ある会社に、新たな勲章が加わりました。
Today
2019年、TESI H2の発表とともに、bimotaは新体制での歩みを始めました。KB4、KB4RC、TESI H2 TERAへとモデル展開を重ね、2025年にはKB998 Riminiでスーパーバイク世界選手権に復帰しました。
設計を率いるのは、TESIを生んだピエルルイジ・マルコーニです。トレリスフレームと削り出しプレート、ハブセンターステアリング。半世紀を経た今も、bimotaは車体設計に独自の答えを求め続けています。
Since 2019
TESI H2を発表しました。スーパーチャージドエンジンとTESIのハブセンターステアリングを組み合わせた、新体制での最初のモデルです。設計者のピエルルイジ・マルコーニもbimotaに復帰しました。
KB4を発表しました。600ccクラスの車体に1,000ccクラスのエンジンを搭載したロードスポーツです。
bimota初のエンデューロレーサー、BX450を発表しました。同年のイタリア・モーターラリー選手権で年間ランキング2位となり、翌年にはイタリア・レイドTT選手権でチャンピオンを獲得しました。
KB4のネイキッドモデルKB4RCが登場しました。
bimota初のクロスオーバーTESI H2 TERAが登場しました。同じ年、ワークスのライダーとともに開発したKB998 Riminiで、スーパーバイク世界選手権に参戦しました。
Rimini
アドリア海に面した街、リミニ。bimotaの歩みは、この街の小さな工房から始まりました。もっと軽く、もっと意のままに。走り手の願いを、作り手の手でかたちにする。一本のパイプを曲げ、つなぎ、理想の車体へと近づけていく。その仕事に、bimotaの原点があります。時代とともに素材や構造が変わっても、車輌への情熱は変わりません。描いた線に技術を注ぎ、細部に美意識を宿す。リミニで芽生えたその精神は、今も一台一台に息づいています。
Spirit of Rimini
bimotaは創業以来、きらめくアドリア海に面したリミニに本拠を置いています。リミニのあるエミリア=ロマーニャ州は、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティといった名だたるブランドや、数多くのモーターサイクルメーカーが集まる土地。その東の端で生まれたbimotaの個性は、この土地の気質と歴史によって育まれてきました。
一年を通して穏やかな気候に恵まれたリミニは、イタリア有数の海辺の保養地です。夏には長い海岸線がパラソルで埋め尽くされます。街にはローマ時代の遺構が数多く残り、映画監督フェデリコ・フェリーニの生まれ故郷としても知られています。
モーターサイクルの文化も深く根づいています。1945年から1971年まで、リミニと周辺の海岸の公道では「テンポラーダ・ロマニョーラ」と呼ばれるレースが開かれ、街を挙げての祭りとなりました。今も海岸では毎年オフロードの大会が開かれ、近くにはMotoGPやWorldSBKが開かれるミザノ・ワールド・サーキットがあります。サッカー選手よりもプロのライダーを夢見る子どもが多い、と言われる土地です。
1972年にミザノで事故に遭ったリミニの若者が自らフレームを設計し、翌1973年、bimotaはモーターサイクルメーカーとしての歩みを始めました。そしてスーパーバイク世界選手権を戦うKB998 Riminiは、bimotaの歩みと功績を認めたリミニ市から、その名を許されています。
Authorized Dealer
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